SOS北極... 赤いテント

1926年、ノルウェーの有名な極地探検家ロアルド・アムンゼンとアメリカ人エルスワースは、イタリアの飛行船の権威者ウンベルト・ノビレ大佐の設計の飛行船“第1号”を買い、操縦者にノビレをたのんで、北極横断に成功した。夢は実現したものの、成功後の行動などを互いに非難し合い、ノビレとアムンゼンの仲は険悪なものにたってしまった。飛行の成功で少将に昇進したノビレは、新造飛行船”第2号”を完成させ、再度極点を目指す準備を始めた。一九二八年四月十四日深夜、ノビレほか、スウェーデンの気象学者マルムグレンなど十六名を乗せて“イタリア号”と名付けられた飛行船は、極点めざして飛び発った。やがて「我れ極点に達す」という電文がローマにとどき、イタリア全土は讃辞でわき返った。しかし、それもつかの間のことだった。イタリア号からの電信が、急にとだえてしまったのだ。

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